遼寧省大連市旅順口区・日露戦争遺構2
旅順攻略戦その1を終え、時刻は15時半です。これから二〇三高地へ向かいます。拾ったタクシーはオバサン運転手で、行き先を伝えると任せろとばかりに得意げな返事をしました。日本人が観光しに来れば絶対に行く場所だと言っています。他にも白玉山などお約束の観光スポットがありますが、幸い時間が遅いので「これから行こう」などと営業されません。心配した二〇三高地のゲートは開いており、駐車料金を10元くらい取られますがそのまま山上駐車場まで上がれます。
ここでオバサンと料金の交渉です。これから旧旅順駅と軍港を回って最終的に地下鉄旅順駅へ戻るルートをお願いします。彼女は言い値の150元から一歩も引きません。正直それで問題ナシなんです。ただ交渉を任されている分、ちょっとくらい引いてやりたい欲望に駆られますが元々そんなに押しが強い性格でもございません。そのまま交渉成立となり、彼女は喜んでここまでのメーターを止めてました。機械に記録された数字を除いて丸儲けですね。
タクシーを待たせて頂上を目指します。近年、この山には日中友好の印として日本の桜が植えられ、かなり有名な花見スポットになっていますが、この時期はまだ裸木だらけです。事前に市内から路線バスでアクセスできないか調べましたが最寄りのバス停自体がゲートからやや遠く、更に山頂まで歩こうものなら同行者からブーイング必至でした。

当時陸軍は海軍からの要請に沿って旅順湾の奥に潜むロシアの極東艦隊を殲滅する事になります。グーグルアースでさえ戦艦の位置は分からないのに、隠れた艦隊を外海から遮二無二な砲撃で狙うのは上策ではない、故にこの山頂を奪いここから俯瞰して位置をつぶさに測り、それを頼りに標準を合わせれば湾内のロシア軍を一網打尽にできるという算段です。湾を一望の下に見下ろせるこの場所を獲るためだけに何万もの死傷者を生みました。
後日談ですが、知人のお墓参りにご一緒した際、横浜にある久保山墓地を訪れました。驚くほど多くの墓石がすり鉢状の斜面びっしり並んでいて田舎者の私には想像を超える景色でした。一体いつから、なぜこんな大きな霊園が存在するのか尋ね、ここは日露戦争の戦死者を葬るために造成が始まったという経緯を聞き、この戦争がいかに兵隊の命を奪ったのかを実感させられました。

ちょうど春節が始まった頃でした。街の至る所で爆竹や花火を打ち鳴らしていました。一般人が扱う爆竹や花火すら日本の常識と比べると破壊力抜群ですので音も兵器レベルです。二〇三高地に立ち、眼下の街あちこちからドンドンバンバンと音が絶え間なく聞こえてくると、日露戦争の最中にいる錯覚がします。

山上に資料館もあるのですが今回は開放されていませんでした。砲弾型のモニュメントは日本軍がこの山に散らばった弾丸や砲弾を集め溶かして建立したもので爾霊山(にれいさん)と記されています。二〇三を詩的に改変した乃木将軍の命名です。確かに「なんじの霊の山」というたった三文字の言葉に全て凝縮されている重さを感じます。ちなみに二〇三高地は単に標高が203メートルだったので付けられた符号でした。
元来た道を戻る頃、大変に尿意を催しました。友人と二人で駐車場下の公衆便所へ行ったのですがこれがまた危うい便所でして、例えればドアと電灯がない昭和の田舎の公園のポットン便所です。ドアはないですが何か結界を感じて入るのを踏みとどまり、男同士だし外の茂みで済ませたんですが…気づくのが遅かった。日露併せて数えきれないほどの爾の霊の山へ…
あああ~やっちまった!
その後、山を降りて旅順駅へ向かいます。ついでに通り道ですので当時の日系ホテルだった旅順大和旅館の建物を見物しました。「招待所」の看板から察するに中国人オンリーの旅館だった感じですが、現在は囲いがされ「危険」と書かれ、解体されそうな雰囲気。

隣にはロシア時代に建てられ日本が師範学校として使った白亜の旧建築も現存しているのですが、人の往来が乏しい地域です。運転手のオバサンに「何でこの辺はボロボロで寂しいの?」と尋ねましたが…答えが聞き取れませんでした〜。まさか更地になるのか…景観を残すような復元措置はとらないんでしょうか。近くには旧関東軍司令部などが残っている歴史エリアなのに。

旧旅順駅は中国一芸術的で美しい駅舎と言われます。木造ですので何度が改修されているとは思いますが竣工は1900年、ロシア時代からの古建築です。駅から更に線路は延びて踏切を越え、海辺の建物まで続いています。ここは海軍の施設ですのであまり目立った撮影はしないように。
2014年4月20日を以て、大連と旅順を結んでいた一往復のみの通勤列車が事実上廃止されました。午前7時頃大連を出て、61kmの距離を2時間近く掛けて旅順まで走っていました。そして戻りの列車は退勤時間に併せて大連へ戻りました。その列車が廃止されて以降、ホームへの立ち入りは原則不能になりました。
しかし駅舎自体は運営を続けており、内部はガランとして薄暗いですが、改札口のガラス窓越しにホームの様子が覗えます。そして小さな切符売場も生きております。後で大連駅へ切符発券に寄るつもりでしたが、ここで発券できるという事だったので用事が一つ捗りました。

しかしつい先日、2020年上半期を以てこの発券窓口も閉じられました。旅順駅は鉄道施設としての役目を完全に終えた事になります。

最後に軍港公園に寄ってもらいます。駅からすぐ、湾内の臨海公園です。一応中国海軍の基地という事ですが…割と無防備に観光できてます。この石碑の向こうに見えるのが旅順港への入口です。外洋から隔てられ港にうってつけの地形ですがボトルネックでもあるので、二〇三高地攻略以前、ロシア極東艦隊を日本海へ出さないために海軍による「旅順閉塞作戦」が展開されました。
闇に紛れてボロ船をこの狭い入口付近で爆沈させ、物理的にバリケードを築いてしまおうというものでした。結果は不十分、戦死した軍人広瀬武夫は神格化されましたが後味が悪い結果となります。
石碑には「旅順口」と書かれています。「りょじゅんこう」という響きから旅順港という漢字が頭に浮かんだのですが、地名は旅順口でした。ここは古代からの良港で、元の時代には「獅子口」と呼ばれていました。明時代に遼東半島を平定に来た明軍が順調な航海により任務を遂行できたことを祝って旅順口と改名されています。
さて結局言い値を払いましたが、4人で3時間ほど車をチャーターして一回りできましたのでwin-winです。戻りに地下鉄を途中下車し、巨大な星海広場で春節の夜の騒ぎに加わって平和を噛みしめます。


二零三景区
タクシーでの訪問が一番よい
旧旅順駅・軍港公園
地下鉄旅順駅から路線バス旅順10系統で「解放碑」バス停下車後徒歩10分〜15分 運賃1元
旅行時期:2018年春節