中国旅行

玄徳婚礼の寺

江蘇省鎮江市・北固山甘露寺

三国志を読んでいた賢明な読者はすでにお気づきであろうから人物説明とかせずに書きます。呉の孫権+劉備軍が赤壁で魏軍を打ちのめしたまでは良かったが、劉備側が借地だったはずの荊州に理由をつけては居座り続ける事に呉は痺れを切らしました。

周瑜は、孫権の妹君との縁談を餌に劉備を呉へ呼び出し、捕らえるなり殺すなりして荊州を奪還してしまおうという策略を孫権に提言。だがそれを逆手に取る諸葛亮にしてやられるというストーリーですが、その舞台として有名になったのがこの北固山甘露寺です。

呉が南京(建業)に遷都するまでここ鎮江(京口)が首都でした。上海から高速鉄道で1時間半前後、二等(普通席)で100元(1,600円)前後で手軽に行ける街です。鎮江駅と鎮江南駅がありどちらに停まるかは列車次第ですが観光に便利なのは鎮江駅の方です。
鎮江駅検札口を出るとちょうど大改修工事の真っ最中で、南北への通路が遮断されていました。バスなら甘露寺へは北口からの乗車なのですが今は南口にしか出られません。(2017年秋の事)

案内がありました。「北口に行きたい者は南口から19、81系統のバスに乗って九華山路北停留所または協信太古城停留所で降りて歩け」とな。東京駅に置き換えると丸の内口から八重洲口に行く時にバス乗って宝町あたりで降ろされて歩けという鬼畜な内容です。京都駅で言うなら八条口からバスに乗って七条堀川で降りて歩いて烏丸口へ行けといういけずな内容です。

ともかく仕方ないので地図とバス停名をスマホであれやこれやして、最適ルートを見つけました。
乗換したバス停の裏に魅力的な路地がありましたので昼飯はここで済ませる事にしました。写真は載せませんが解体中の羊や生きたままの野禽類も並んでいます。Virusが市場から蔓延するという話を実感できる場所です。

鍋蓋麺という麺が有名というので食堂で注文しましたが、うまく通じません。どうやら私の勘違いでこれは料理名ではなく麺そのものの名前でした。つまりスープは基本的にありふれた紅焼とか清湯などで、写真のものは紅焼牛肉麺です。で、肝心の麺はというと、米沢ラーメンに似た縮れ麺でした。

揚子江の畔にある北固山公園に到着しました。工事さえなければ駅から乗り換え無し30分以内でアクセスできます。牌楼をくぐるといきなり第一目的だった試剣石を見つけてしまいました。

婚礼成立後のある日、孫権と散歩へ出た玄徳が池の畔で「岩が割れれば首尾よく荊州に戻れ世に覇を轟かせられる!」と心で唱えながら剣を振り下ろすと見事に岩は真っ二つに。孫権が「玄徳どのナニやってんの」と問いかけると本心を隠しながら「打倒曹操を願って剣を振り下ろしたナントカカントカ」と経緯を話すと、孫権も同じく心中では「荊州の土地を奪還させたまえ!」と願いつつ剣を振り下ろし、結果として岩は見事に十字に割れてお互い内心ニヤニヤしてたという伝承。
甘露寺の存在を知ってから中国のネット地図で「試剣石」の文字を見つけ、あの石って本当にあるんか!と気になっていたのです。

想像していたのと違う…人間業じゃねえ。張飛でも切れんぞこんなの。何と言うかもうちょい真実味のある遺跡であればよかったのですが。しかしあのように三国演義に描写されるという事は、執筆された元朝末期にはすでにこの岩が存在していたという事でしょうか。もしや、創作エピソードに沿った見処を作るという観光目的で人為的に作った、もしくは持ってきたのでしょうか…まさか…有り得る。

と疑って申し訳ないことをしましたが、江苏旅游网(江蘇省の観光サイト)には「実際にはこの石は一億年以上前の火山活動で誕生した岩が風化したものであり、決して剣で割れるものではない」と説明されています。

日本の漫画文化の影響か「備備」「香香」という萌キャラを生み出しています。孫尚香という名前は京劇に登場しているようですが、正史や民間史の中にこの名は見当たらないようです。

入場門で30〜40元(季節変動)のチケットを買って先に進むと、境内は小高い山になっていて石段が続きますが所々に見処があります。ここで一番歴史的価値があるものはこの錆びた鉄塔です。11世紀後半に建立されました。元は九段あったそうですが時の流れと自然災害で今はこんな感じです。オリジナルで残存しているのは土台から二段目までです。

阿倍仲麻呂の歌碑があったのは意外でした。この有名な詩は753年の鑑真和上来日に関わっていた時に揚子江の船上で詠んだという説もあります。鑑真和上の故郷は川の対岸にある揚州市ですので、この地と縁はつながっているといえるでしょう。この碑は1990年に設置されました。

その先から長廊が始まります。1993年に復元されたものですが、三国演義では劉備を亡き者にしようと孫権たちが武器を持って潜んでいた現場です。孫権のオカンに見つかり一喝されて退いたという事になっています。

ひとまず一番見晴らしの良い所まで上がって揚子江を眺めてみました。中洲を挟んで対岸遥か彼方に見えるのが揚州市です。渡船でしか行けなかった対岸にも架橋技術の進歩により次々と長大な橋が架かっていきます。間もなく高速鉄道がこの大河を越えて鎮江と揚州を結びます。

甘露寺の境内には願い事を書いて結ぶ平安結という紅い帯が多く掛けられております。各地で時々この帯に「事業がバズりますように」と書いて供えるのですが、全く効果が見えません。しかしなんとか生き永らえているのがご利益なのかもしれません。次の機会には具体的に●万円の仕事が●件欲しいと書こうと思います。
門前の石版には三国演義のエピソードが刻まれていました。罠にかけるための結婚話が事実になってしまったという嘘から出た真(弄假成真)の好例となっています。

戻りは別の遊歩道を通って下山しましたが、途中に三国志でお馴染みのバイプレーヤーたちのお墓がありました。
魯粛は演義の中で結構不遇な扱いを受けております。諸葛亮と周瑜の引き立て役として右往左往する情けない姿が描かれていますが実際は器が大きく頭も切れる大軍師タイプなのです。諸葛亮の手柄になっている天下三分の計も元は彼の発案らしいです。お墓は1993年にこの地に移されてきました。
もう一つのお墓は太史慈、横山光輝版の漫画では兜に特徴がありました。この人は演義でも史実でも武の人として活躍が伝わっています。忠義の人であり弓の名手、戦死の際、孫権の嘆き様は半端ねえ。手厚くこの北固山の麓に葬られた後も後世の人々に墓が守られて今に至るという事です。

北固山公園
2020年現在、鎮江駅南広場からも直通バスがある。133系統で「甘露寺(江滨医院北站)」下車。鎮江駅北広場からは路線バス24系統で「江滨公园」下車後徒歩500m。どちらも運賃1元、所要30分前後。

行時期:2017年秋